2015年01月09日

RIDE PRIDE PAMPHLET PRODUCTION NOTE

RIDE PRIDEの試写会で配られたパンフレットに
掲載されていたプロダクションノートの記事を
WEB用にアップいたしました!


今読むとまたいろいろなことを感じることが
できるのではないでしょうか?
気持ちがしっかりこもった内容になっています


このパンフレットを持っている人は本当にレアです!!

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RIDE PRIDEの制作も佳境に入り、この文章を書いています。
想像を絶する長い時間と労力をかけ遂にここまできました。


20年を超える映像を吟味し、新たに撮影して過去のベスト越えを狙う。
それは改めて自分自身と向き合い、コンディションからスキルまで
すべてを見つめ直して取り組まなければならないことでした。


オリジナルメンバーは、40歳を目前にどこまで
できるのだろうか? 常に自問自答しながら、
どうしても拭いきれない不安との戦いでした。


元々ここ大阪でのストリートスケートはどのようにして
生まれたのでしょうか。すべての始まりは、大阪での環境の変化でした。
この土地には、ストリートスケートの歴史以前に
とても素晴らしい環境と才能あるスケーターがいました。


しかし時代の変化と共にシーンは変わり、
有名なパークは閉鎖され行き場はどんどん減っていきます。
そういった中、一部のスケーターがビデオカメラを持ち
自分たちの滑りを撮影する者が現れ始めました。


大阪ストリート第一世代です。そして伝説のSANTが結成されました。
SANTは、自主的にビデオを作りプロモーションを重ね、
全国に名前を売っていきました。その流れからEXPRESSIONは始まっていくのです。


我々が当時から心がけていたこと、それは映像作品でした。
それは、自分たちがスケートビデオに魅せられ
人生の根底を揺るがす感覚になったからだと思います。


その感覚を味わってもらいたい、そして自分たちのことを
より知ってもらいたい、スケーターの気持ちを表現するのに
ビデオは最も適していました。そして全くの無名だったスケーターが
ビデオカメラを片手にスポットを次々と攻略していくのです。


当時の大阪は、シーンの入れ替わりと共に何もなくなった
新地のような雰囲気で、緊張感はなく時代が過ぎ去った感じでした。
ですがストリートスポットは全く開拓されていない手つかずの状態で、
言い換えれば滑りたい放題。


そもそも大阪は、オフィス街からゲットースポットまで、
ストリートスケートを映し出すには最も適した場所だったのです。
時を同じくしてパークでスケートできなくなったスケーターが
街に動き出すタイミングで、才能あるスケーターがたくさん
ストリートに集まりました。新たな時代のタイミングだったと思います。


そして約20年が経った今、当時を振り返れば
とても多くの出来事を思い出します。
楽しかったこと、辛かったこと、苦しかったこと…
様々な思い出が走馬灯のように駆け巡ります。


一つだけ言えることは、本当にやり続けてきて良かったと
いうことでした。入れ替わりの激しいスケート業界で
ここまでやり続けてこれたのは、ひとえに仲間の存在が大きいです。


苦楽を共にし、お互いを支え合い、同じ釜の飯を食う…
人間としてとても大切なことを貫いてきました。
そしてビデオカメラを手に全国の同志を撮影して共感し合えることは、
日常のコミュニケーションを超えた信頼関係を築けることに気がつきました。


思い出せないほど多くのスポットへ行って撮影し、
喜びを共有できたのは人生で最も満たされた時間だったと思っています。
そして本当に大切な仲間と共に過ごした時間は、1秒たりとも無駄はありません。
遠方まで撮影しに行き、うまくトリックができなかったとしても、
その移動時間の中で行われたコミュニケーションや
様々な出来事は新たな道を示してくれます。


約20年間、すべては未来を照らし続けていたのかもしれません。


またこれだけ長く続けていれば、多くの出会いや別れを
経験することもありました。スケートボードはテンションを
キープするのが難しく、どうしても気持ちのズレが出てくる時があります。


情熱を捧げていた分跳ね返りも大きく、その差はより大きくなってしまいます。
そんな時に起こる仲間の離脱…。まるで体の一部を失ったような感覚に陥ります。
精神的にも肉体的にも辛く苦しい状態でしたが、前に進むしかありません。


長い長いトンネルに入ったような時でも前進するしかないのです。
そのような時に一筋の光は突然降り注ぎ、次なる方向を示してくれました。
そして新たな仲間が現れるのです。


RIDE PRIDEには、新しく二人のスケーターがチーム入りしました。
増田シンヤは、根っからのストリート上がりでハングリーなスケーター。
高山レオは、パークでの滑りを基礎として持ち、オールラウンドに対応できるスケーターです。


EXPRESSIONは、この二人に未来を託しました。彼らは、我々の期待に見事応えてくれました。
次世代のエネルギーを受け、メンバーも今まで以上にやる気になっていきました。
若手とベテランのコントラストは作品性をより高めていくのです。


制作を続ける内に新たな感情が自分の中に湧き出てきました。
それは、RIDE PRIDEには今まで所属していたライダー全員の存在が必要ではないかと
いう思いでした。ここまで長くやってこれたブランドの本質には、
離脱したメンバー含め全員の力があったからだと考えるようになったのです。


ただこの気持ちは、長い時間が経った今となっては都合よく感じるかもしれません。
いきなり連絡してきて協力してくれと言われてもなかなか伝わらないことだと思います。
そんな気持ちの中、思い切って元メンバーに連絡してみることにしました。


家庭を持つ者、地元に帰った者、環境はバラバラです。様々な状況の中、
気持ちを少しずつ伝えて協力を募り、そして全員集結することができました。
元メンバーの中には、再び声をかけたことに対してとても喜んでくれた人もいました。


また何度も何度も大阪に足を運び、過去に撮影した映像越えを
してくれた人もいます。本当に心が熱くなりました。
全員が集結することで真の意味でのRIDE PRIDEになったと思っています。


そしてこの作品を追求する中で今までにはない大阪の色を
表現したいと考えました。それはこの土地に繋がりのあるアーティストに
協力をしてもらい、自分達のメンタリティを最大限に表現したいと思ったからです。


大阪に根づく音楽を見つけ出し、レゲエ独自のオリジナル文化であるダブプレートで
スケーターを表現する。これこそ我々の求める大阪らしさ、この土地で活動する
人間の本当の気持ちを表現できるのではないかと思い取り組んできました。


アーティストの中には、EXPRESSIONを知っている人もいました。
今までスケートボードをやり続けてきたことがこのタイミングで合わさり、
とても円滑に話を進めることができました。


またダブプレートを録ることが難しいアーティストも
メンバーの協力によって無事収録することができ感謝しています。
自分だけでは開かない扉もメンバーの鍵で開く事ができたのは、
チームとしてやってきて本当によかったと思います。


映像、音楽と来て最後はパッケージングです。
すべてはこのパッケージからEXPRESSIONの世界観に踏み込むきっかけとなる部分です。
決して気を抜くことなく新しい試みをいくつか仕掛けてみました。


それは内容を深く知ってもらうために60ページのブックレットを
ハードカバー仕立てにし、RIDE PRIDEを1つの冒険の書と捉えてもらうことでした。
映像だけでは伝わりにくい部分を活字と写真でより詳細に伝えることが、
この作品をより高めることだと考えています。


また英訳を入れることによって世界中の人がこの日本で作られた
RIDE PRIDEをより深く知り、今まであまり触れられることのなかった
日本人の価値観や道徳観、そして誇り高き文化を知ってもらうことが狙いです。


この作品が新渡戸稲造の武士道のように、日本人の美学と情熱を
多くの人へ感じてもらうきっかけとなれば幸いです。


岡本一太郎
posted by ichi at 13:01 | TrackBack(0) | News | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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